●卓に関する私感 水石飾りを行う上で、一番目立つ道具は卓ですから、卓ほど慎重に選ばなければならない道具は他にはありません。鰭飾りなどの装飾は抜群に良い物でも、足がちょっと太すぎるだけで使い物にならないものがあったりするなど、バランスが悪いものもあるのですが、かといって、良い物ばかり集めようとしても、なかなか見つかりませんし、最終的には、そこそこの程度の物をいくつか我慢しながら使って、機会があれば良い物に換えていくという感じでしょうか。もちろん、資金力が豊富な人は、良い物だけを何台も揃えられると思いますが、普通のサラリーマンでは、そのようなことは、なかなか叶わないと思います。それでも、良い卓というのは、なかなか出会えるものではないと思いますので、出会いがあったら、慎重にバランス等を見極めて、少しずつでも入手したいものです その時に気をつけなければならないのは、自分の美意識というか審美眼です。自分の審美眼を高め、人の意見に左右されずに、卓を見極める目を持たないと、美辞麗句に惑わされてしまい、使用頻度が低そうな卓を入手してしまうことになりますので、注意することが必要でしょう 名人と呼ばれ小川悠山・日比野一貫斎・白井潤山・金子一彦・葛木香山・本郷寿山などが知られていますが、残念な事に水盤作家と同じで、名人作というだけで、作品のすべてが良卓であるとは限りません。これらの作家の物でも、水石飾りに似合わない物はたくさんあります。悠山のものなどは、作品の出来は素晴らしいのですが、いかんせん装飾が派手すぎて、とても水石が似合うものではないものばかりです。香山については、全体的に硬い感じを受けるものが多く、金子や寿山の卓については、写しで作ったものには良いものがありますが、自分自身のオリジナルで作ったものについては、それほどたいした物はないように見受けられますので、作家名だけで簡単に卓選びをするのには、注意が必要だと思います 特に注意したいことは、寿山は天拝形の卓が多く、その出来に関しては素晴らしいのですが、同じくらいの出来の普及品の卓は他にもたくさんあり、寿山と普及品の価格差は、平気で4〜5倍はします。普及品と寿山を使った飾りの差が、同じくらいあるかといえば、そんなことは絶対になく、いわゆる 【卓の働き】 に関しては、まったく同じなのです。まさか、飾りに水盤や卓の裏を見せるわけにもいきませんから、働きが同じならば、安価な方が良いに決まっていますので、普通の寿山の品を買うのならば、数台の卓を求めた方が飾る際には役立つと思いますので、そのあたりにも注意したいところです。もちろん、寿山でも違う形で良い物もありますので、そのような場合は、この限りではありません。他の作家でも基本的には同じで、金子の算木卓は、購入意欲をそそられるほどではないかもしれません。これは、銅盤でも同じで、無飾りの峰雲なども、同程度のものならそこそこあるし、著名な卍透かしでも、同程度の作の物はそこそこあります。著名な物を求めるのならば、裏の落款を見なくても、一目で作家名がわかるものを求めた方がよろしかろうと思います。同じ手の物ならば、あくまでも、その道具の働きは同じですから・・・・・ ●足について 卓には、その装飾の為にさまざまな意匠の種類の足が付けられていますが、足の種類や太さ・付け方一つで卓のバランスは大きく変わってしまいますので、注意しなければならないのは前述したとおりです。具体的に、どのような足が良いのかということについて書いてみたいと思います 卓には、反り足・猫足・曲足・唐草足(蕨手足)・巻き足などが一般的に付けられています。反り足は、その反り具合が一番のポイントになり、反りが大き過ぎる物は水石向きとはいえず、足の下部でかすかに反っているような上品な物が水石飾りにはもってこいとなります。注意すべき事は、反り足の下部部分が太すぎる物も多数見かけますので、太さにも注意する必要があるでしょう 猫足については、曲足で一番下部が急激に反って足の止めになっている物ですが、このような足については、足ばかりが目立ってしまい、とうてい水石向きとは言えませんので、絶対に使用しない方が良いでしょう 曲足については、天板から直に大きく湾曲した足ですが、このような足についても、足ばかりが目立つことになってしまい、肝心の石を殺してしまいますので、避けた方が良いでしょう 唐草足(蕨手足)については、平卓の足が唐草文様のように内側に向かっている足で、足自体が唐草文様になっている物です。この手の足でしたら、ほとんど問題はなく、よほど大きすぎる物でない限り大丈夫です 巻き足は、足の最下部が反り足とは反対に内側に巻き込んでいる足で、普及品の無飾り平卓に多く使われている足です。この手の足は、ほとんど大丈夫なのですが、ごくまれに巻きがきつすぎるものもあり、あまりに巻きが強くバランスを崩しているものは良くありません ●装飾 装飾についても、具体的に触れていきたいと思います。このことに触れるのには、別項で記載したような盆栽と水石の強弱関係を思い出しながら考えてみてください。水石は、強弱関係で考えてみると盆栽や草物よりもはるかに弱い物ですので、卓に飾りその水石を引き立たせる為には、卓の形態や装飾に注意しなければなりません。では、具体的にどこに注目すれば良いのかという事を少し書いてみます 名品と呼ばれるような卓には、必ずさまざまな意匠が施された装飾が付いています。卓としての作りがどんなに素晴らしくても、水石を飾ったら卓ばかりがえばってしまい、肝心の水石が前々目立つことや引き立つことがないのでは、本末転倒となってしまいます。あくまでも、水石を活かすことができる卓が、水石向きの名品なのです そこで、水石を活かすことができる卓とは、どのような卓なのかということになります。卓と乗せる物(水石・盆栽・草物)を考えてみると一目瞭然で、同じ卓を使った場合に一番弱くボリュームが少ないのが水石です。その水石を飾り活かすわけですから、そのためには、水石を乗せるスペースに注目しなければならず、水石の下にくる天板部分が一番重要になります。この部分が過度に厚かったり、強い装飾があったり、桟があったりすると、どうしてもうるさくなってしまい、水石が引き立つことなく、かえって沈んでしまいます。ですから、一番のポイントは、 【石の下には天板一枚だけで、その下にスペースが空いている】 事につきます。そうすることにより、水石が綺麗に浮かび上がらせることができ、引き立たせることができるのです。前項の繰り返しになりますが、ここは一番重要なポイントですから、必ず覚えておいてください 石の下にオープンなスペースが必要ということになると、おのずと良くない卓が決まってきます。まずは、天板が厚いもので、この中には、いわゆる喉突の卓が入ってきます。喉突の部分があるだけで、卓の厚みが増すばかりでなく、喉部分の凹凸があることにより、どうしても卓がごつくなってしまい、水盤石はおろか台座石すら似合いません。幕飾りのある卓についても、まったく同じです。どんなに素晴らしい彫刻や寄木の飾りなどがあろうと、ほとんどが邪魔になるだけで、石を助ける事は無いように思います。かと言って幕飾りのすべてがいけないわけでもなく、天板の中央部にちょっとだけ飾りがあるとか、邪魔をしない程度の装飾であるのなら、格調が上がる事になり良いと思います。もちろん、桟付きのものについても、幕飾りと同じで、たとえ足の下部に回してあるような桟であっても、邪魔にこそなりますが、石の手助けにはなりません。唯一算木くらいが、まあまあ水石にいけるのではないのかなと思っています。算木の装飾については、幾何的な意匠であり、なおかつ、その意匠は横広がりな意匠ではなく、縦の意匠になっているので、石を乗せて飾った時に、安定感が増すように思うからです。ですから、小洒落た石には似合いませんが、ごつく強い石なら、まあまあ調和するかなと思うからです 水石展などで、飾られている石を鑑賞する時などは、どうしても石ばかりに目が向きがちで、気をつけて見ていても、卓の大きさや種類・材質などは見ても、卓との調和に注意が払われることはないので、卓本来の役割に、あまり注意が払われていないように思えます。水石飾りは、水石だけを鑑賞するものではありませんので、水石・水盤・卓との調和やバランスが大事です。名卓・名水盤・名石を使ったからといって、必ずしも良い飾りになるものではなく、調和していなければ何の意味もありません。飾りにおいては、一番重要な卓ですので、兎にも角にも卓の見極めは、飾りを行う上では大きなウェイトを占めてきますので、他人の美辞麗句に惑わされることなく、ご自身の審美眼(美意識)を磨いてもらいたいものです ●写し物 『道具の働きが同じ』ということに関すれば、いわゆる「写し」についても触れなければなりません。ご承知のとおり「写し」とは、名品と呼ばれるほどの評価を受けている名作のものを、後代になってから、真似をして作られた物で、芸術分野のどの世界にもあることです。水石に使う道具の世界でも、水盤・卓・絵画(軸)などに見られ、ひょっとすると、卓が一番多いかもしれません。これは、卓作り(関東では指物:関西では唐木細工)という世界が、芸術分野ではなく、どちらかというと職人の分野に近い事が影響しているのではないかと思っています。ですから、寸分の狂いもないような卓を作る、非常に高い技術を持っている人はたくさんいるのですが、反面クリエイティブな創作をする人は少なく、どうしても伝統的な姿形の製作が中心になってしまっているのではないかということです。そのために、同じような形の卓ばかりが多くなってしまう傾向にあると判断せざるを得ません もちろん、盆栽水石の世界では、業者さんが中心に売れ筋、あるいは売れそうなものを、作家やメーカーに依頼して作らせるわけですから、どうしても、過去に名品と誉れの高い卓を写して作らせることも多く、写しものばかりが増えざるを得ない状況になります かといって、写し物が良くないわけではありません。前述したとおり、やはり良い物の写しであれば、その道具の働きについては、本歌も写しもまったく同じで、何ら変わることはありません。本歌が50〜100万円くらいであっても、国産の写しなら5〜10万円くらいと格安になるし、中国製の写しでは2〜3万円くらいのものです。同じだけの働きならば、本歌でなくても、国産の写しで充分でしょうし、経済状況によっては、中国製でもまったくかまわないと思います ただし、あくまでも水石飾りに使うことのできる卓でなければなりません。写しでも、本当に名品と呼ばれるのに相応しい物の写しもあれば、何でこのような卓を写したのかと、疑問に思うような物もたくさんあります。写しものだからといって、そのすべてが必ずしも良い物ばかりを写したわけではありませんので、このことにも注意することが必要です 古来より、一番多く写されてきた物に春日卓があり、この卓を水石飾りに使っている人もたまに見かけますが、やはりこのような卓については、卓の装飾が悪く、足の形も良くありませんので、水盤飾りをするような卓ではありません。台座石飾りには、なんとか使えるかなとも思いますが、台座石にもそれほどにあう卓ではありませんので、水石飾りには用いない方が、基本的には良いでしょう 八足卓というものについても、水石飾りに使う人がいますが、ただでさえ邪魔な曲足が左右に四対もあるわけですから、とうてい水石に似合う道理はありませんので、これも良くありません 算木卓も良く写されている卓ですが、これについては、全体のバランスが勝負で、バランスの悪い物はまったく使い物にはなりませんので、注意することが必要でしょう 甲玉透かしの机卓も、かなりの数が写されている卓で、算木卓と同じようにピンからキリまでありますが、この手の卓を選ぶのに注意することは、角の仕上げと装飾です。なかには角が少しだけしか面をとっておらずに硬く感じてしまう物も少なくはありません。また、装飾については、綺麗な彫刻や象眼が施され、格調高く仕上げられているものまであります。普通の作の物なら、かなりの数が出回っているので、できるだけ装飾の良い物を選択した方が良いのではないかと思います 天拝形卓もいくつもの種類が写されていて、これについてもピンからキリまであります。いわゆる潤山型と呼ばれているような卓については、足が太すぎる物や、鰭飾り部分が良くない物をたくさん見ますので、足の太さが適切であるかどうか、鰭飾りがうるさくないか、の2点に注意して選ぶと良いと思います。また、足の両脇に鰭飾りが付いているような天拝卓については、装飾が華美過ぎてとても水石を乗せるような卓ではありませんので、装飾の度合いに注意する必要があります ●卓の種類と前身 現在、水石盆栽界で使われている古い古卓は、最初から水石や盆栽に使用する為に作られた物ではなく、他の分野で使用されていたものを転用したものがほとんどです。春日卓・八足卓・天拝卓などについては、基本的には経机ですし、甲玉透かしのような机卓については文机、八足卓や透かし卓などのような香炉卓、無飾りのシンプルな平卓などは、ほとんどが花をのせる為の花台であり、近年になって、ようやく盆栽や水石に使用する為の卓が作られ出したくらいですから、本当の意味での水石用卓には、ほど遠い感じがしないではありません。ここ20〜30年くらいの間に、徐々に専門の卓が作られ始めたといっても、そのほとんどは写し物が主ですから、水石専門卓とは言い難いかもしれません ●名人と職人 どの世界にも名人と呼ばれる人達がいて、ご多分にもれず卓の世界でも、名人と呼ばれている人が何人かいます。また、『腕の良い職人』というように、技術の高い職人さんもいます。名人と職人の違いはどこかと申しますと、ズバリ【発想力の違い】です。腕の良い職人とは、卓の世界で言うと、寸分の狂いもなく材料を調製し、一切のガタツキもない卓を作るハイレベルな技術を持っている人で、名人は、自分の発想(想像力)を駆使して、素晴らしいオリジナリティが高い卓を作れる人です。つまり、ハイレベルな技術を持っている事は同じなのですが、発想力に違いがあるので、良質のオリジナル作品を作り出せる事ができるかどうかの違いがあるのです。具体的に言うと、発想力が貧困な人は、写しものを作る時には素晴らしいものを作る事ができるのですが、発想力が貧困で応用も効かないため、オリジナルなものを作ろうとすると、バランスがとれた良質な物が作れずに、ただの職人で終わってしまいます。それとは反対に、オリジナリティー溢れる良質な作品を常に供給できる高い芸術性を備えた人が真の名人なのです この考え方からすると、今までの盆栽水石界における評価とは、だいぶ違った評価になってしまいますが、ハイレベルな技術力を持った人が名人と呼ばれている間違った価値観が気に入らないので、思わずこのような事を書いてしまいました。私の考えからすると、真の名人と呼ぶにふさわしい人は、有名どころでは悠山と潤山だけで、あとは腕の良い職人といったところでしょうか。もちろん、無名の人でも、とんでもなく素晴らしい卓を世に送り出している人もいますが、名を知られていないという事だけで、そこそこにしか評価されていないのが現状で、水石盆栽界が、売らんが為の名人を作り出しているのか、それとも、もともと低い審美眼(芸術性)しか有していない世界なのか、どちらかはわかりませんが、このような情けない状態では、『水石は総合芸術の世界である』などと声高らかに宣言したところで、何にもならないのでしょう また、いくら芸術性が高い素晴らしい水石飾りをしても、鑑賞者がそれに追いついてこなければ、何の意味も持ち得ないということも残念な現状であろうとも思います ●悠好み 好みの水盤があるように、どうしても、卓にも好みがでてきてしまいます。上品で使いよい卓が好きなのですが、これでは、あまりに抽象的な表現過ぎてわかりませんね。中卓については、足が中についている天拝型の上品な卓が好きで、平卓では、逆に天板の端に付いている、どちらかといったら少し踏ん張り気味の物が好きな傾向にあります。あとは、夏飾り用に竹を使った瀟洒な卓も好きといったところです 逆に、あまり好みでない卓もいくつかあります。その代表的な物は、算木卓と甲玉透かしのようなシンプルな机卓です。なかには良い物もあるとは思うのですが、あまりに数が多すぎてしまい、どの展示会を見ても、善し悪しはともかく必ず複数台が出品されているのを見ると、とても使いたい気持ちにはなりません。誰でもそれぞれ1台くらいは持っているはずの卓を、私は1台も持っていないのです。それくらい好きではないので、これからも、それらの卓を持つことはないでしょう(笑) |
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