石の見方について、いろいろと書いてきましたが、石は正面から見た形だけで評価するのではなく、上面から見た形にも触れることにより、全体のバランスの重要性が少しはわかってもらえたことと思います。まったく同じ石というものは、二つとして存在しませんので、あらゆる角度からみた全体のバランスに配慮することになってしまうのは、仕方がないことだと思いますが、形のあるものとしては、理想の形というものも存在します
 ここで、上面から見た 『最高の形』 の図を示してみます。山形・島形・溜まりなどの石は、上面から見た形が、このような形が最も 『理想の形』 なのです。まず、勝手の反対側(左の部分)になりますが、ここはまろやかで綺麗な丸形を描いていることが理想です。手前に構える必要はありません。構えてしまうと石に力強さがでてしまいますので、こちらは真左に力が向かうのが良いのです。石の後ろ側の線については、ゆるやかかつまろやかに勝手側に向かう線が理想です。石は基本的に 『硬い』 ものですから、石の描く線はまろやかなのが石の硬さを補うために必要になります。次に勝手側になりますが、勝手側は、勝手の反対側(左の部分)と違って、若干構えることがベストです。ゆるやかに勝手側に延びてもかまわないのですが、それでは芸が無さすぎますので、強くなりすぎない範囲で構えることが理想型となります。最後に、正面の見付けの線になりますが、ここについても、石の裏側と同様にゆるやかかつまろやかに勝手側に向かう線が理想です。ただし、正面の見付け線になりますので、そのまま単調に向かうだけでは芸がありませんので、見付け線の理想位置にちょっとだけ芸を持つことが理想になるのです
 この形が、山形・島形・溜まりなどを上面から見た理想の形になります。自然の石は二つとして同じ石は無く、すべてが違った形をしています。真体の石のようにゴツゴツと荒々しいく厳しさを感じるものから、草体の石のように、単調でまろやかなものまであります。本来は、それぞれに理想形があるわけなのですが、それらをトータルで考え合わせると、このような形にならざるを得ないということになります


 
 次に、 『構えの良い石』 について、上面から見たものを図示してみます。構えの良い石とは、上図のような感じで、主峰の山頂部から何方かに稜線を引いていながら、正面から見える左右の稜線については、正面側に緩やかに向かっていて、敷き砂との見付の線は弓なりになっているような感じのものです。上図で言うと、主峰正面左側については@のように、稜線が主峰から正面左側にくることにより、主峰側(左側)に構えをを作ります。それに対して、勝手側(右側)の稜線は、Bのように主峰から勝手側に延びながらも、緩やかに正面方向に向かい、勝手側に構えを作るようになり、いわゆる弓なりの石の構えを作るようになります。Aは裏側の稜線にあたりますが、主峰側に厚みを持たせなければなりませんので、主峰よりも左側に延びなければなりません



 こちらは、 『構えていない石』 を上面から図示したもので、基本的には草体の石を現わす形となっています。稜線は主峰から左右に延びるだけで、正面側に向かってくると構えてしまいますし、裏側に向かうと「逃げ」になってしまいます。ですから、正面から見た時に、稜線が左右一直線になることが必要になるのです。特に主峰側の稜線にいたっては、理想型と同じように 半円状 になっていることが大事で、ここのまろやかさが命とも言えるくらい必要な条件となります


 結局のところ、理想の水石形とは、構えている石と構えていない石の中間形とも言えることがわかることと思います。水石界では、「構えが良い」ことが水石の良石条件であると言われてきましたが、石が構えてしまうと、迫力を感じることはあっても、静寂感のある凛とした美しさを表現することはできませんし、迫力の無いものでも良石はたくさんあるのです
 また、人それぞれの好みもあるでしょうから、どちらが良いということではなく、好き嫌いの好みを超越したところでの絶対評価を行なうことが必要なのではないでしょうか。美を追究するということは、完成も大事なの事なのですが、理論も同じくらい大事なことです。そうしないことには、同じ土俵で美を語ることができないからです。美しく感じるものには、それなりに理由があるわけであって、『どの部分を美しいと感じるのか?』・『どのような理由で美しいと感じるのか?』・『その美しさを引き出している根元は何なのか?』・・・・・美しく感じるものには、それぞれの回答が必ずあるはずで、そのようなことを系統立てて考え合わせることにより、 『美の本質』 が見えてくるのではないのでしょうか? 私が知っているごく狭い範囲の水石や盆栽に関わっている人達でも、それらのことを論理的に説明できる人はほとんどいませんし、栽界に関する本などを読んでも、適切に表現している人は見かけることがなく、「この盆栽(水石)幽玄の美を感じる」とかの評価しかされていないことが多く、どの部分のどの特徴を捉えて、そのように表現しているのかさえ曖昧なものがばかりです。また、「幽玄」の説明すら無いことも、やはり不親切でしょうし、初心者にはわかりにくいものとなってしまいます。本来ならば、そのようなことを外の世界に向けて発信するような人がいなければならないし、コーディネイトする人もいなければ、このような趣味は尻すぼみになってしまうだけで、「伝統文化」などといくら声を大にしても、外の世界の人には通用しないと思っています。そのようなことから、私は、できるだけ論理的に説明をするように心がけているのですが、受け入れるか受け入れられないかは、読んでいる皆さまの自由裁量におまかせ致します









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送