美の発露

 美の要素と言いましてもたくさんあり、水石における主な美の要素とは、別項で記したようなものがあります。ただ、注意しなければいけないのは、侘び・寂び・痩せなどは、石の存在自体が持ちあわせているもので、人間が表現している美ではありません。絵描きさんが絵を通じて美を表現するのと同様に、水石家も美の表現者となることが必要であると、私は考えています。そこまでいかないと、水石は芸術まで昇華しないだろうし、美を表現する事なくただ陳列して終わってしまうようですと、近所のおばさん達がやっている趣味となんら変わらないような気がしています(ちょっと大袈裟かもしれませんが、それくらいに思っています)

 やはり水石が美を発露していく芸術と考えるのならば、水石を飾る人もそれなりに真剣に取り組まなければならず、美の表現に向けて研鑽していきたいところです
 ところが、難しいのは「美の発露(表現)」という事でして、これは石自体の持つ美をそのまま現すだけでは、発露してることにはならず、席主(以下、水石を飾る人を便宜上このように現します)の考え方や思想が反映されていないことになります。では、席主としてどのように美を表現していくのか?・・・ということが、一番難しいことであるとともに、表現者として面白い部分ではないかと考えています

 美というものは、数値で定量的に表わせるものではなく、感性が左右する部分でもあり、文字で表現するのは難しい事なのですが、例を挙げますと、「夏に滝石や溜まり石を飾って清涼感を表現する」「滝石や険しい岩型石を飾って幽玄さを表現する」「土破石を飾って荒涼とした広大さを表現する」などなどです。文字で表すと簡単な事なのですが、実際にそれらの事を表現するとなると非常に難しく、溜まり石で清涼感を現したいのであれば、あまりゴツゴツとした石では無理で、明治期から伝承されている古い石でも無理です。それなりの石を探し、清涼感を出せるような道具立ても必要になってきます。また、石や道具だけでなく、相応の知識や知見も必要になるだろうし、石や道具をキチンと取り合わせ使いこなす事ができる力量を持つことが、なによりも必要になってくるでしょう。水石を使った美の発露とは、それくらい奥の深いものではないかと考えています

 もちろん、このことだけが水石趣味のすべてではなく、石の楽しみ方は千差万別で、人それぞれですから他人に強制するつもりはまったくありません。あくまでも自分自身の信念として、美の発露について、常に心がけて水石を飾るようにしています。ですから、毎月の飾りには、季節感や景色感の創出だけにとどまらず、他の感興をも現せるよう注意しながら飾ったり、研究しながら飾ったりして、自己研鑽を深めるよう取り組んでいます

 このように書いてしまうと、大袈裟で難しそうに聞こえてしまうかもしれませんが、要は、ただ漫然と飾るという事ではなく、【燧石を使って何を表現したいのか?】ということに、ちょっとだけでも気を配って飾るようにしていけば、少しずつではありますが、自身の持つ芸術性が高くなっていくように思います。漫然と飾っていたのでは、芸術性が高まっていくことはないでしょう

 私も、年々少しでも芸術性が高まっていくように心がけていますが、目指している高見は、はるか彼方です。それでも、このサイトを始めて3年になりますが、始めた当初よりは、少し上がってきたように思っています(笑)




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